2013年11月21日木曜日

「なぜイケてるアジア人ゲイは互いに興味がないのか?」Sticky Situations: Why Don't Hot Asians Want Each Other?

先週末、アメリカの新聞を読んでたらこんな面白そうな記事を発見。「なぜイケてるアジア人ゲイは互いに興味がないのか?」っていうの。

アメリカ生まれのアジア人ゲイ Justin Huangが書いた記事。ロサンゼルス在住で、本人はアジア人も白人もOKっていうオープンマインドな人なんだけど、僕も共感することが多々あったので、(久しぶりに)日本語に訳して紹介します!


 なぜイケてるアジア人ゲイは互いに興味がないのか?

イケてるアジア人同士のゲイ・カップル(完全なるアジア人だけの血をひいた人同士のカップル)を見かけるっていうのは、皆既日食を目撃するのに等しい。それは少なくとも僕が住むLAでは滅多に起きることじゃないけど、常に驚きの感情と共に嬉しい気持ちにもさせてくれる。

さらに書き進める前に、僕が言う「イケてるアジア人(hot Asian)」の定義について明確にさせて欲しい。この表現は、西洋民族中心のクソみたいな文脈、つまり、まるでアジア人が「イケテル」ことがショッキングな驚きに値することで、そのためわざわざそれを口にする必要があるかのような場合に耳にすることが普通だ。この文脈では、「アジア人の割に君はイケテルね」と言うのに等しい。これは、アジア人に対して最も非直接的、かつ人種差別的な褒め言葉だ。だから、そんなことは誰にも言って欲しくない。ただ単に、「君はイケテルね」、それだけでいいんだ。

実際、アジア人の間で多くのイケてる人たちがいる(全ての人種の間でイケテル人たちはいる)。そして、さらに詳しく見ていくと、こうしたイケてるアジア人の多くは、互いに興味を持ってはいないようだ。それはなぜか?

僕はUCLAのすぐそばのウェストウッドに住んでいる(UCLAは、You see lotsa Asians(沢山のアジア人を見かける)を意味する)。毎日スポーツジムに通うとき、大学のキャンパスには特定のパターンの人種がミックスしたペアが沢山いることに気がつく。それは、白人と「イケテル」アジア人のペアだ。これは、僕がカリフォルニアで最もよく目にするインターレイシャル(人種がミックスした)カップルだ。

これは間違ったことなのか?もちろんそうじゃない。同意した成人同士の間の愛というのは、どれも美しいもので、それがどんな形であれ祝福されるべきだ。相手の性別や人種が何であれ、誰かを愛するという行為を誰も恥ずべきではない。 それに、「ハパ(hapa=白人とアジア人のハーフ)」は、とんでもなく魅力的なことが多い。だから、それは(おそらく)自然に反したことじゃない。

個人的に、僕は白人のおじさんたちとハパの従兄弟たちと育ったから、人種間の混血を好意的に思う。もし全員が、肌の色が同じになるまで互いに子孫を残したとしたら 、世界はより良い場所になるというのは確実だ。

でも、このトレンドは、もっと分析してみる価値がある。だからもっと分析してみよう。

ゲイ文化はもちろん、この現象について超批判的な面白い側面がある。「ライスクイーン」は、アジア人男性に対して強烈な好みを持つ白人男性を指す。そして「ポテトクイーン」は、逆に、こうした白人男性の崇拝者に対してのみ魅力を抱くゲイのアジア人男性のことだ。でも、僕が好きなグループは、「スティッキーライス(sticky rice=互いにくっつく米)」だ。これは、アジア人男性とだけデートをするゲイのアジア人男性に対する滑稽な名前だ。スティッキーライスは、ライスクイーンにとっては禁じられた炭水化物だ。

僕について?僕は「ジャスミンライス」だって言いたい。完全にスティッキーなわけではなく、ディナープレートにのってる誰ともうまくつきあうのが好きなタイプ。実際、僕はライスクイーンともスティッキーライスともできれば付き合いたくはない。その理由は、たとえ僕にとて有利な状況じゃなくても、一般的に、視野が広い人が好きだから。僕の辞書に書かれているのは、セッOスに関して機会平等というのが進むべき道だということ。

でも、僕にとって、他のアジア人男性と相思相愛になるっていうのはめったに起きることじゃない。僕がWeHo(LAのゲイエリア、ウェストハリウッドの略)でイケメンのアジア人に近づくと、必ず白人のボーイフレンドに拒絶される。白人ボーイフレンドが同じくらいイケメンということはまずないというのは、言及するに値することだ。(もしくは、拒絶された僕のひがみかもしれない。)

僕もアジア人以外の男性とつきあったことがあり、スティッキーライスのアジア人から、僕があたかも自分自身の民族を裏切って、「万里の長城」をよそ者に開門してしまっているかのような批判を受けたことがある。特に僕が付き合ってる相手が白人の場合。 最も意地の悪い文脈では、「ポテトクイーン」と呼ばれるということは自分嫌いということであり、「ライスクイーン」と呼ばれるということはフェティシスト(拝物性愛者)ということだ。これはかなりヒドい言われ方だ。僕は、これを「ルーズ・ルーズ(ウィン・ウィンの逆)」の状況とまでは言わない。というのも、そう名付けられる人たちは全員、セッOスにありつけているから。

でも、これら全てについて何か居心地の悪い含意がある。そして僕はこれを質問する必要がある:イケテるアジア人は、(自分たちの人種から)「卒業」して白人男性たちに走らないといけないと感じているのか?

僕はそうは思いたくない。もしアジア人と白人の間に生まれつき、互いへの魅力を感じる気持ちがあるとしたら?それってそんなに間違ったこと?僕がイケテルと感じるアジア人と白人のカップルに遭遇するとき、最初に浮かぶ考えは、二人にジョイン(参加)したいということであり、彼らが自身の人種を裏切っているということではない。

美意識の観点から議論することもできる。ファッション、インテリアデザイン、アート、そして料理の盛りつけにおいても、僕らは異なるものをマッチングし、違う色や形を組み合わせることが良いと教えられる。それと同じことを人種と恋愛に当てはめて何が悪いのか?

でも、もちろんそんなに単純なことじゃないのはわかってる。僕が初めてカミングアウトしたとき、僕の最もリベラルな従兄弟のカレン(彼女もアジア人で、アジア人と付き合ってる)は、僕に、アジア人男性とだけつきあうべきと強く言ってきた。僕が彼女になぜ?と聞くと、彼女は、自分以外の人種の人とつきあうと、そこにはどうしても文化的な障害が存在すると言った。彼女が言ったことは、全くフェアで有効だ。

でもそれがポイントじゃないの?インターレイシャル(異人種同士)の関係にはそういう複雑なことがあるからこそ、魅力を感じるんじゃないのか。何も変えたくない保守的な考えに対する「くそくらえ(fuck you)」と言うような、世間の期待に反抗したい気持ち。もしかしたら、それは「僕はこんなに大胆で、自分以外の人種のイケテル人とデートしてて、お前たちに何ができるんだ?」というようなステータスシンボルかもしれない。

僕は決して忘れられないことがある。僕は数年前、サンフランシスコにいた。(ところで、サンフランシスコはゲイたちがインターレイシャル(自分以外の人種と付き合う)ための場所だ。)僕は、確実に僕には興味がないイケメンのアジア人に話しかけていた。代わりに、彼の視線はハンサムな白人男性を追っていて、この白人男性は、僕たちがスティッキーライスかどうかを判断しかねていた。この二人は視線を絡め合わせ、互いに何かを伝え合った。

その夜しばらくたって、僕はタバコを吸うために外に出ると、デロデロに酔ったこの二人が出てきた。白人男性の手は、アジア人男性のオシリのポケットに入れられていた。二人が僕を通り過ぎるとき、イケてるアジア人が、ほんの一瞬、僕の方を振り返って笑顔を見せた。それは意地悪な笑みでも、残酷なものでも、見下したものでもなかった。二人が一緒にタクシーに乗り込むのを見ながら、僕はそれが何を意味していたのか考えていた。そして二人が丘の上に消える頃、僕はひらめいた。彼の笑みは勝利の笑みだったのだと。

そして僕はこの気持ちを押さえきれなかった——彼の勝利の笑みが、僕をイヤラシい気持ちにさせた。

(おわり)

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