2013年11月9日土曜日

行った気になれるゲイのサンフランシスコ -- カストロ編 Visiting Gay San Francisco -- Castro Street

サンフランシスコはゲイの街。全米からゲイが集まってくる。
元々、19世紀のゴールドラッシュ時代に、黄金を求めて何千人もの男たちが大挙してカリフォルニアに押し寄せてきたことが、サンフランシスコのゲイの歴史の始まりらしい。


Michael Bronskiが書いた本、"A Queer History of the United States"(アメリカ合衆国のゲイの歴史)でも、サンフランシスコがゲイの街と言われるルーツは、この19世紀のゴールドラッシュという男ばかりの文化にあると指摘している。

この本によると、1849年、サンフランシスコ(当時は Yerba Buenaと呼ばれていた)の人口は2万5000人。そのうち女性はたったの300人しか住んでいなくて、その3分の2は娼婦だったそう。男ばっかりの街なんて、どんなのだろうね。怖いようでもあり、楽しそうでもあり、、、。

1850年、同性だけのダンスを催すことはまったく問題なく受け入れられていて、女装することも娯楽の一部だったとか。

サンフランシスコのソーシャルライフは、あまりに活気があり従来の保守的な考えとは一線を画すものだったたため、イギリスの探検家、Frank Marryat は、サンフランシスコのことを「海辺の背徳の地"Sodom by the Sea"」と呼んだほど。

そしてサンフランシスコをゲイの街として決定づけたのが、第二次世界大戦。

1995年に書かれたこのエッセイ『The Castro: The Rise of a Gay Community(カストロ地区:ゲイコミュニティーの勃興)』には、次のように書かれている:

150万人の兵士(そのうち少なくとも10%の15万人はゲイ)がサンフランシスコに集まってきた。ゲイという理由で何千人もの兵士がサンフランシスコの地で除隊された。彼らは、地元に戻るより、このリベラルで開放的なサンフランシスコの地にとどまることにし、終戦を迎えてからさらに数千人の兵士が(ゲイというアイデンティティーに目覚め)サンフランシスコのゲイコミュニティーの一員になった。

1970年代のカストロ地区で

1978年のCastro Street Fair

そんなカストロに、GLBT History Museumがあるので行ってきた。場所はカストロ地区のど真ん中。ミュージアムと言っても、とってもこじんまりしていて1部屋だけ。

4127 18th St.
San Francisco, CA 94114


だけど、日本語のオーディオ・ツアーも用意してある。日本人観光客がそんなに多いのかね?スマホをお持ちの方は、この写真のQRコードをスキャンすると聞けるよ!


こちら、このミュージアム設立のために資金提供したスポンサー一覧。

歴史といっても、1978年からスタート。(19世紀のゴールドラッシュ時代の古いものは扱ってない。) この時代は「悲劇による目覚め」と題されている。「悲劇」とは、ハービー・ミルクが暗殺されたことや、ゲイに対する暴力、殺人事件が相次いだことなんかを指してる。警察も、ゲイを守るための活動はないがしろにしてたんだって。

この写真の右側はハービー・ミルクだね。彼の死を悼む記事。まだ見てない人は、映画Milkを見ることをオススメします。

ハービー・ミルクが使っていた品々。 「ゲイ・ヒッピーから、ゲイのヒーローへ」と題されてる。

1981年〜1983年。 ゲイに対する差別や暴力があることを皆に広めようとした時代。

1984年〜1998年。ゲイ男性によるコーラスグループが結成されて、今でも活動を続けてる。

1999年〜2003年。 ゲイ・コミュニティーの意識を広げてきた時代。

2004年〜2012年。平等な権利を勝ち取るための戦いの時代。そっかー、僕がアメリカで生活してきたこの時代はここに当てはまるんやー。しかも2012年で終わってるし。

2013年以降。現在そして未来へ向けて。アメリカのゲイ・コミュニティーの進歩は、次はどういうテーマになるんだろうね。 僕の中では、「ゲイの子育て」、「職場での平等」がテーマかなぁと思ってるんだけど。

これは1970年代の男性ファッションカタログ。当時、まだおおっぴろげにゲイを全面に出した広告展開ができなかったけど、モデルとか下着ファッションが超ゲイ。ゲイと言わなくても、ゲイの消費者の心をつかんでたっていうのが時代を感じるわー。

この写真の左側のイケメン、実は現カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン。彼、昔に一度カリフォルニア州知事を務めたことがあって、今は二度目。これは最初の時だね。若いころはイケメンだったんだねー。
 今じゃこんな感じ。。。


 そして、このミュージアムで一番気になったのがこれ。Jiro Onuma(大沼次郎)っていう無名の日系人。一部屋しかない小さなミュージアムで、彼のセクションがハービー・ミルクよりも大きく取り上げられてるって、どんだけ?!かなり制作者の意図を感じたんですけど!


日本からアメリカに移民してきた日系1世だそう。これが彼の日本国パスポート。当時は手書きなんやねー。

米国市民になることが認められた書類。 
 

そしてこれは彼がアメリカ市民権を取ってからの米国のパスポート。

第二次世界大戦中は、日系人ということで強制収容所に入れられたんだって。そのとき、彼が所持してたのが、この筋肉ムキムキの白人男性の写真。これを眺めて心をいやしてたのかもねー。

これは彼が日系人の友人とサンフランシスコの写真館で撮った写真。

これも友人たちと。今に比べてゲイは日の目を見ない存在だったかもしれないけど、サンフランシスコで楽しそうな生活を送ったゲイの日本人がいたんだね。

大沼次郎の時代から60年以上がたってるけど、こうしてゲイの日本人の僕がカストロ地区で彼の存在を知るというのも、時代の連鎖を感じるなー。ゲイの多くは家族を残せないけど、ゲイとして生まれて、悩み、友達やコミュニティーを見つけ、自分なりの幸せを感じながらゲイとして生きる。この繰り返しをどの世代も同じようにやっていくんだろうね。

また10年後とかにこのミュージアムを訪れて、2013年以降がどういう展示内容になってるのか見てみたな。

5 件のコメント:

michio2008 さんのコメント...

こんにちは、初めて投稿します、三十数年前に米国シアトルに一年ほど住んでいました。昨年夏と今年の正月を過ごして来ました。懐かしい町並みに感動した事とウェブで知り合いになった人と市内の美術館などを見て歩きました。おぼつかない英会話をにわか勉強で話ができてとても有意義な時間を過ごしました。心から米国の友達になるには、やはり一緒に暮らすことで相手の事を理解できますね、私は言葉での説明が不足して離ればなれの状態です。

Tsuyoshi Smith さんのコメント...

初めまして。シアトルいいですよね。僕が住んでみたい街の一つ。

国際カップルに、意外と言葉はあんま必要ないかもって思ってるんだけど、どうでしょう?日本で知り合った日米ゲイカップルとかは、日本人は英語が話せないし米人も日本語がほとんど話せないのに10年以上一緒に住んでたりするのを見て、そういうほうが意外といいのかもって。

アメリカ人と結婚した日本人女性とかでも、英語がカタコトの人って結構多いし。言葉が分からない方が嫌なところが見えなくっていいのかもなんて。。。分かりすぎて口論ばっかりになる僕からのヒガミでした。

michio2008 さんのコメント...

こんにちは、住んでいる日本の仙台市内の桜は花びらも散ってしまいましたが、銀杏の木々に若葉がついてきました。つよしさんの住んでいる所はいかがですか? 以前日本で付き合っていたイギリス人が米国のパームスプリングに移り住んだようです。どの様な場所なのか知りませんが、多くのリタイアした熟年ゲイの人が住んでいるのでしょうか?未だに彼との連絡が取れず、十数年が過ぎてしまいました。いつかその街を訪問してみたいと思っていますが。

Tsuyoshi Smith さんのコメント...

Palm Springsは、ご想像の通り、リタイアしたゲイが沢山住んでます。LAから車で数時間の距離にあるので、LAとPalm Springsの両方に家を持ってるっていうリッチなゲイも多い。

とにかく砂漠のど真ん中に人工的に作った街で、ほぼゲイ・タウンになってんじゃないかな?

テキサス旅行からの戻り道で近くを通ったけど、ゲイ・アプリで見る限りはシニアの人ばっかね。(笑)

ここでも紹介したリベラッチも、引退後はPalm Springsに引っ越したっていうシーンがあったよ。
http://gayjapaneseexpat.blogspot.com/2013/07/hbobehind-candelabra-matt-damon-does.html

LAから近いし、ゲイのWhite Partyとかたまに開かれてたりするので、若いゲイも集まるみたい。

Tsuyoshi Smith さんのコメント...

その後、パームスプリングスに行った時のことを投稿してるので興味あったらどうぞ。

【写真】パームスプリングスのゲイパレード
http://americangaylife.blogspot.com/2014/11/pictures-of-pride-parade-in-parlm-springs-2014.html